法政史学

法政大学史学会

1980

32

建武政権の所領安堵文書の変遷

飯倉 晴武

鎌倉幕府滅亡後、諸国領主の知行安堵は国宣によって行われたが、その後雑訴決断所が設けられると、その牒の宛所は、個人と国衙・守護所となり、前者は決断所牒(個人宛)—受取者申状(国衙宛)—国宣、後者は綸旨—決断所牒(国衙・守護所宛)—国宣・守護導行状の二種になると整理要約している。

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第二部[日本歴史]2-18.史料

2 Japanese History 2-18. Historical Record

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