東方学
東方学会
1956
12
西域交通史上の新道と伊吾路
島崎 昌
前漢末、玉門関から西北行して高昌に至り、さらに車師後王国へ赴く通路として開通した新道は、後漢を通じ、またその後までも、西域交通路として重きをなした。その後敦煌から高昌にいたる他の道、すなわち伊吾を経由するものが次第に用いられるようになり、恐らく南北朝頃から両道の問に交代がおこつた。
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第四部[東洋経済史]4-7.交通
4 Oriental & African Economic History 4-7. Transportation & Communication
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