上智史学
上智大学史学会
1977
22
1914年の「7月危機」におけるオーストリア=ハンガリー二重帝国の外交政策の転換—2つのメモランダムをめぐって—
滝田 毅
1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー二重帝国皇位継承者フェルディナント大公夫妻がセルビア人に暗殺され、いわゆる「サライェボ事件」が起こった。この前後にオーストリア=ハンガリー政府からドイツ政府宛に出されたメモランダム(6月24日と7月4日)にみられるオーストリア=ハンガリー帝国の外交政策の内容を比較検討し、「サライェボ事件」の前と後で、オーストリア=ハンガリーの外交政策が本質的に転換したかどうかを究明している。
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第五部[西洋経済史]5-13.政治・法制
5 European & American Economic History 5-13. Politics & Law
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- Law, Politics & Military